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終わりと始まり
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終わりと始まり
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商品レビュー
4.1
16件のお客様レビュー
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柴崎友香『続きと始まり』でたびたび参照されていたので、気になって手に取った。 始まりはすべて 続きにすぎない そして出来事の書はいつも 途中のページが開けられている(pp57-60「一目惚れ」) 表題作とこの詩の一節からきっと物語をつくったのだろうなと思い返した。自分は何も知らない、という立ち位置に常に立って、日常を言葉にしていくような詩の作り方が身に染み入ってくる感じ。存在するどれひとつも「普通」であるものは存在しない。解説の「普通の言葉で書かれているのに、不思議なきらめきに満ちている――シンボルスカは、そんな詩を書く」という内容にとても共感する。この詩集があったからこその『続きと始まり』なんだろうなあと思えた。 ==== この木はポプラ、何十年も前に根を生やした この川はラバ川、流れはじめたのは今日や昨日のことではない 茂みの中を通る小道が踏み固められてできたのは おとといのことではない 風邪が雲を吹き散らすためには、その前に ここに雲を吹き寄せなければならなかった(pp.12-13「題はなくてもいい」) 戦争が終わるたびに 誰かが後片付けをしなければならない 何といっても、ひとりでに物事が それなりに片づいてくれるわけではないのだから(p.18「終わりと始まり」) (ノーベル文学賞記念講演) 彼らは「知っている」のです。彼らは知っているから、自分の知っていることだけで永遠に満ち足りてしまう。彼らはそれ以上、何にも興味を持ちません。興味を持ったりしたら、自分の論拠の力を弱めることにもなりかねないからです。そして、どんな知識も、自分のなかから新たな疑問を生みださなければ、すぐに死んだものになり、生命を保つのに好都合な温度を失ってしまいます。最近の、そして現代の歴史を見ればよくわかるように、極端な場合にはそういった知識は社会にとって致命的に危険なものにさえなり得るのです。 だからこそ、「わたしは知らない」という、この小さな言葉をわたしはそれほど大事なものだと考えています。それは小さなものですが、強力な翼を持っています。そして、わたしたちの生を拡張し、わたしたち自身のなかに納まりきる領域いっぱいに広がるだけでなく、さらにはこのはかない地球を浮かべた、わたしたちの外の領域にまで広げてくれるのです。(p.98) 詩人もまた、もしも本物の詩人であればの話ですが、絶えず自分に対して「わたしは知らない」と繰り返していかなければなりません。一つ一つの作品でそれにこたえようと試みるのですが、終止符を打ったとたんにためらいの感情に襲われ、これはその場しのぎの答でまったく不十分なものだ、ということをすぐに悟り始めるのだす。そこで詩人はもう一度、さらにもう一度、と試みを続けます。そして、詩人が自分に不満だったことを示すこれら一連の証拠を、後に文学史家は「著作」と呼ぶようになるのです。(p.99) 「驚くべき」という特徴づけには、論理上の罠がひそんでいます。結局のところ、わたしたちを驚かすのは、すでに知られていて一般に認められている規範から逸脱するものです。人が慣れ親しんでいる、ある種の明白さから逸脱するものです。ところが問題は、まさにそういった明白な世界など、じつはまるっきり存在していないということではありませんか。つまりわたしたちの驚きはそれ自体としてあるものであって、何かとの比較から生じてくるわけではない。 なるほど、一つ一つの単語についてじっくりと考えたりしない日常的な話し言葉では、誰でも「普通の世界」とか、「普通の生活」、「ものごとの普通の流れ」といった言い方をします。しかし、一語一語の重みが量られる詩の言葉では、もはや平凡なもの、普通の物など何もありません。どんな石だって、その上に浮かぶどんな雲だって。どんな昼であっても、その後に来るどんな夜であっても。そして、とりわけ、この世界の中に存在するということ、誰の物でもないその存在も。そのどれ一つを取っても、普通ではないのです。 どうやら、これから先も詩人たちにはいつも、たくさん仕事があるようです。(pp.102-103)
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題はなくてもいい p15 こんな光景を見ているとわたしはいつも 大事なことは大事でないことより大事などとは 信じられなくなる 一目惚れ p57 突然の感情によって結ばれたと 二人とも信じ込んでいる そう確信できることは美しい でも確信できないことはもっと美しい 一連の出来事の一つの見方 p80 望みもしないのに押しつけられた遺伝と 分泌や排泄の暴虐に ぞっとさせられた p82 誰もが隣人のいない祖国を持ちたがった そして人生を生きぬくなら 戦争と戦争のあいまにしたいと思った 解説 p123 詩を書かない滑稽さよりは 詩を書く滑稽さのほうがいい 97年刊行。 『瞬間』ではまって読みました。 邦訳が少ないのであと2冊しかないので噛みしめるように味わいました。 個から個へ。解説にもあったようにシンボルスカの詩には親しみがあり、かつ語り部の多彩さから文学的な趣きすら個人的には感じています。
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1996年にノーベル文学賞を受賞したポーランドの詩人の作品集。 なぜか、この時代に目に留まり手にした幸いたるや。いや、この不幸な時代を憎まなければいけないのかもしれないけれど。 巻末の解説で訳者でもある沼野先生は、こう記す; 「中・東欧からロシアにかけては、いまだに詩という文学ジャンルが力を持って社会的に大きな役割を果たしている。世界的にみても珍しい地域であり、多くの優れた詩人を輩出している。」 著者の祖国ポーランドは、否が応でも先の大戦のドイツによる蹂躙や、その後のソ連邦からの外圧など、大国の理論に振り回された歴史が思い出される。 故に、か。今、ロシア・ウクライナ間での戦争のことと、本書に収められた作品を結び付けて読んでしまう。 例えば、「現実が要求する」という作品には、 この世には戦場のほかの場所はないのかもしれない という一文がある。また、「一連の出来事の一つの見かた」には、 誰もが隣人のいない祖国を持ちたがった そして人生を生きぬくなら 戦争と戦争のあいまにしたいと思った なんとも、これは今ならどこの国の人が強く思うことだろうと思いは千々に乱れる。 そして、同詩の中には、 わたしたちは死に同意した ただどんな形の死でもいいというわけではない とあり、本人の意思とは別の国家の思惑で戦地に送り込まれる人々の心情に思いを馳せる。 なんとも、今、この時代に味わうのに最適? あるいは最悪の?巡り合わせか。 解説で沼野光義は、ヨシフ・ブロツキーの発言を引いて詩の存在、その意義を強調する。 「芸術全般、特に文学、そしてとりわけ詩は人間に一対一で話しかけ、仲介者ぬきで人間と直接の関係を結びます。」 先日読んだ松下育男の『詩の教室』( https://booklog.jp/users/yaj1102/archives/1/4783738262 )にも、こんな一文があった。 「その人にとって特別な詩って簡単に人とは共有できない。すぐれた詩やきれいな詩、感動的な詩は、それなりに人と分かち合える。でも、この詩こそはという詩は、すぐれているとか感動的だとかいうのとはちょっと違うというか、もっと個人的なものなのかな。」 詩は、個人個人に訴えてくる。だから、響く。 本詩集の著者は、「可能性」という詩で、こう謳いあげる。 数字の行列に並ばされたゼロよりも ばらばらなゼロのほうがいい つまり、何百、何千、何万という数字は、抽象概念化して意味を成さなくなる。それこそ、戦死者が何千人だ、国外逃亡者が何十万人だ、その占領地には何百万人の住民がいる・・・。こうしたメディアが伝える数を、誰が親身になって受け止めているのか、ということだ。 「いまだに詩という文学ジャンルが力を持って社会的に大きな役割を果たしている」ことが、こうした時代や地政学的背景があってのことだとしたら、あまりにも悲しいことなのだけれども。
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