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癩王のテラス
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癩王のテラス
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商品レビュー
4
3件のお客様レビュー
完全なる美を求めた王の完全なる美であるバイヨン構築とともに滅び崩れ去っていくのは王の身体かそれとも精神か。永遠とは何か。
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4,5回目の再読。 三島の戯曲は涙腺に触れる。 「薔薇と海賊」と本作品は特に。 三島は若者の死=美というオブセッションから生涯逃れられなかった。 自刃という行動とは彼なりの青春との心中だった。 あの悪文の骨頂たる檄は、装いに過ぎない。 少年への憧憬と同じく、不可逆的にしかこのオブセッションは発生しないため、たちが悪いのだ。 文筆家の仕事は、生身の肉体を失って始めて息づくといえる。 太宰の文章には太宰の息遣いや温もりが篭っている。生きている。 三島のデコラティブな文体は、筋肉でデコレイトした仮面の肉体と同じく、仮面であり虚構であり偽物ですらある。 だから「天人五衰」の終結と同じく、中心には何もない。 しかし、しかしだからこそ、残された香気や空虚や後ろ姿やが、死から日を経るほどに美しく感じられて仕方ない。 中上を除けば最後の作家だったともいえる。 以下備忘録。 ・嫉妬深い蛇神 ・そのお顔を盛り立てれば、寺院はたちどころに成るような気がした ・支那薔薇の花びらのような痣 ・そうだわ、これはあの王様のお顔なんだわ。 ・あの子を殺し、そして私が生み直すのです。 ・王様の癩病はあの女の愛のかたちなのだわ。 ・私がナーガです。私こそナーガですわ。 ・王即身崇拝 王様=お寺=仏=観世音 ・私は一人で死にたい。 ・おまえが癩にかかったのではない。おまえの存在そのものが癩なのだ。精神よ。おまえは生れながらの癩者だったのだ。 ・何かを作る。それがおまえの病気だった。 ・青春こそ不滅、肉体こそ不死なのだ。……俺は勝った。なぜなら俺こそがバイヨンだからだ。 ・「絶対病」の芝居 ・レプラはまさしく人間そのもののシンボル てなことを書いたあとで検索してみると、こうあった。 肉体の崩壊と共に、大伽藍が完成してゆくといふ、そのおそろしい対照が、あたかも自分の全存在を芸術作品に移譲して滅びてゆく芸術家の人生の比喩のやうに思はれたのである。生がすべて滅び、バイヨンのやうな無上の奇怪な芸術作品が、圧倒的な太陽の下に、静寂をきはめて存続してゐるアンコール・トムを訪れたとき、人は芸術作品といふものの、或る超人的な永生のいやらしさを思はずにはゐられない。壮麗であり又不気味であり、きはめて崇高であるが、同時に、嘔吐を催されるやうなものがそこにあつた。— 三島由紀夫「『癩王のテラス』について」
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(1975.08.22読了)(1975.08.18購入) *解説目録より* 死は月と銀、生は太陽と金。カンボジアの若き英雄王が、死の淵に立って永遠不朽の肉体の化身としてよみがえる絢爛たるロマン。 ☆三島由紀夫さんの本(既読) 「仮面の告白」三島由紀夫著、新潮文庫、1950.06...
(1975.08.22読了)(1975.08.18購入) *解説目録より* 死は月と銀、生は太陽と金。カンボジアの若き英雄王が、死の淵に立って永遠不朽の肉体の化身としてよみがえる絢爛たるロマン。 ☆三島由紀夫さんの本(既読) 「仮面の告白」三島由紀夫著、新潮文庫、1950.06.25 「愛の渇き」三島由紀夫著、新潮文庫、1952.03.31 「潮騒」三島由紀夫著、新潮文庫、1955.12.25 「金閣寺」三島由紀夫著、新潮文庫、1960.09.15
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