- 書籍
- 文庫
機械・春は馬車に乗って
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
お客様宅への発送や電話でのお取り置き・お取り寄せは行っておりません
機械・春は馬車に乗って
¥330
在庫なし
商品レビュー
4
31件のお客様レビュー
物語を楽しむことはで…
物語を楽しむことはできるが、横光という作家がどういう物書きなのか、この短篇集を読んだだけではわからなかった。横光の本領は長編にあるらしいので、そっちを読んでみたい。
文庫OFF
横光利一といえば、川端康成の弔辞が頭を過る。 同じ新感覚派に属しているが、横光の作品は、登場人物や取り上げるモチーフに強さを感じる。(加藤周一は、「横光は、抒情的な要素を拝し、硬い抽象的な言葉を用いて、時代の風俗を反映する長編小説を書こうとした」と記している) キャラクターに心に...
横光利一といえば、川端康成の弔辞が頭を過る。 同じ新感覚派に属しているが、横光の作品は、登場人物や取り上げるモチーフに強さを感じる。(加藤周一は、「横光は、抒情的な要素を拝し、硬い抽象的な言葉を用いて、時代の風俗を反映する長編小説を書こうとした」と記している) キャラクターに心に残るものがある。 「機械」は心理小説に分類されるらしい。その独自性と読者を惹きこむ手法が面白い。 横光については、他の作品も読んでみたい。
Posted by
「春は馬車に乗って」は、1926年(大正15年)、雑誌『女性』8月号に発表された小説。 横光利一は「新感覚派」の作家と言われた時期がありましたが、本作はその代表作品です。 肺結核で療養する妻と夫。 療養先での二人の会話を通して心の揺れ動きが描き出されています。 これは、横光利...
「春は馬車に乗って」は、1926年(大正15年)、雑誌『女性』8月号に発表された小説。 横光利一は「新感覚派」の作家と言われた時期がありましたが、本作はその代表作品です。 肺結核で療養する妻と夫。 療養先での二人の会話を通して心の揺れ動きが描き出されています。 これは、横光利一と内縁の妻サキがモデルの、いわば私小説のような作品です。 会話を読み進めると二人の関係が少しずつあぶりだされていきます。 「新感覚派」の作品は、情景描写などで、作者が描きたい事象を浮かび上がらせていきます。 ですので、文章をじっくり読みこんでいく必要があります。 まずは、冒頭にこんな記載があります。 「まアね、あなた、あの松の葉がこの頃それは綺麗(き れい)に光るのよ」と妻は云った。 「お前は松の木を見ていたんだな」 「ええ」 「俺は亀を見てたんだ」 二人はまたそのまま黙り出そうとした。 二人が見ているものが全く違うのです。 これが何を意味するのか・・・。 さらに妻はこんなことを言います。 「あたし、いま死んだってもういいわ。だけども、あたし、あなたにもっと恩を返してから死にたいの」 もし、妻が、夫の女遊びに恨み骨髄でいるとしたら、こんな怖いセリフはないのです。 さらに、情景描写に注意して読みこんでいくと、こんな描写があります。 「海では午後の波が遠く岩にあたって散っていた。 一艘の舟が傾きながら鋭い岬の尖端を廻っていった。 渚では逆巻く濃藍色の背景の上で、子供が二人湯気の立った芋を持って紙屑のように坐っていた」 決して穏やかな情景ではないです。 ここの描写が以下の様な描写だとずいぶんとイメージが違ってきませんか? 「海では穏やかな波間に、春の日差しがゆっくりと降り注いでいる」 この後には、介護をする夫と、病に伏せる妻の壮絶なやり取りが描かれています。 セリフだけでなく、情景描写に注意して読んでみてください。 さぁ、あなたは、どのような印象を持つのでしょう。
Posted by