1,800円以上の注文で送料無料

  • 中古
  • 書籍
  • 書籍

ロリータ、ロリータ、ロリータ

若島正【著】

お気に入りに追加 お気に入り 追加 追加する お気に入りに追加 お気に入り 追加 追加する に追加 に追加する

定価 ¥2,640

¥2,475 定価より165円(6%)おトク

獲得ポイント22P

在庫なし

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 作品社
発売年月日 2007/10/25
JAN 9784861821578

ロリータ、ロリータ、ロリータ

¥2,475

商品レビュー

4.5

6件のお客様レビュー

レビューを投稿

2023/10/28

桜庭一樹さんも最初の方のチェス・プロブレムは読み飛ばしたらしい。 気になった言葉、二重露光、アナクロニズム、霞、ニンフェット 二重露光は、1つの印画紙に2つのネガを写したこと アナクロニズムは、時代錯誤、主に古い考えや行動のこと 霞は、なんか霞とか靄とかがよく出てきてたような…霞...

桜庭一樹さんも最初の方のチェス・プロブレムは読み飛ばしたらしい。 気になった言葉、二重露光、アナクロニズム、霞、ニンフェット 二重露光は、1つの印画紙に2つのネガを写したこと アナクロニズムは、時代錯誤、主に古い考えや行動のこと 霞は、なんか霞とか靄とかがよく出てきてたような…霞と靄って漢字違うんだ… ニンフェットは、ロリータででてきた造語らしい、ロリコンと同義? 内容は、ロリータには描写にかなり緻密な仕掛け伏線が仕掛けられていたことの解釈と説明。 エヴァの解釈をアレコレするのと同じか… 作者さんがこれだけの意図を作り込んでいるのは凄い。クリエイター凄い。 こんな解釈なんて読んだだけじゃさっぱり分からないと思う。ロリータ未読だったけど読んでみようかと思う。けど、一回読んでも分からなくて何度も読む必要があるのが大変そう…いや、この解説本読んだから、単に初読でも楽しめるはず。

Posted by ブクログ

2014/01/12

『ロリータ』は昨年夏に読み返したばかりなのだが、何の因果か今月の猫町課題図書になっていて、もう一度読むことに。せっかくなので、若島先生の『ロリータ、ロリータ、ロリータ』を読んでから読み返すことにした次第。テクストの細部の細部を、それこそ「霜の針」を拾うかのように丁寧に、丁寧に拾い...

『ロリータ』は昨年夏に読み返したばかりなのだが、何の因果か今月の猫町課題図書になっていて、もう一度読むことに。せっかくなので、若島先生の『ロリータ、ロリータ、ロリータ』を読んでから読み返すことにした次第。テクストの細部の細部を、それこそ「霜の針」を拾うかのように丁寧に、丁寧に拾い上げていく 3章は若島節の真骨頂。マイナーな登場人物に焦点を合わせた 7章、(原文では)難解な自由間接話法をどう翻訳したか、どう楽しむべきかを平易に解説した 10章も秀逸。少なからず「それは(きっとナボコフが意識すらしていない)勝手読みというものだろう」と思われる部分もあるが、所詮、小説を読むことなんて個人の趣味なのだから、本人が面白いと思えば、それでいいのだ。 文庫版解説では触れられていないが、修正派が生まれたきっかけとされる「ヘーゲル的ジンテーゼ」部分のより合理的な解釈は、(この本に引用されている個所だけから判断すると)若島先生の解釈の方が筋が通っていると思わざるを得ない。でも、修正派的な読みの方が、小説としては面白いんだよな…。

Posted by ブクログ

2013/03/06
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

新訳『ロリータ』の訳者が、『ロリータ』について書き下ろした書物と聞いて、アッペルの書いた注釈本のような本を期待すると裏切られる。たしかに、『ロリータ』について書かれた論考を集めたものだが、「これが、ロリータだ」といった、いわば『ロリータ』解読の定本を目指した体のものではないからだ。これまで折にふれて書かれた『ロリータ』についての文章をもとに自分の考えをまとめたもので、整理はされているものの体系だったものではない。 著者はまず、ナボコフがチェス・プロブレム作者であったことにふれ、チェスとチェス・プロブレムのちがいを説きながら、一般の文学作品とナボコフのそれの差異について次のように述べる。一般の文学作品はチェスに似ていて、「指される一手の意味や価値が、見る者の主観によって変化する」。ところが、プロブレムというパズルの場合、主観性の介入は起こらず、誰が解いても同じ答えが出てくる。ナボコフの小説は文学の中でいちばんプロブレムに近いものだという。 「ナボコフ=パズル小説作者」論とも言うべき、著者のこのナボコフ理解を受け容れられる読者だけが、この本の読者たり得る資格を持っている。評者は、文学の読み方の一つとして、そのような理解の仕方があることを認めるのに吝かではないが、自身プロブレム作者でもある著者のようには、とても読むことはできない。しかし、ことナボコフに限って言えば彼の小説を読む面白さのかなりの部分がそこにあることは理解できる。 著者は、「プロブレムを解くように論理の筋道をたどることでしか小説を読めないし、曖昧な美ではなく、論理が鮮やかに結晶したような作品を最も美しいと感じる」ので、作者の構想がつかめたときがいちばんうれしいという。その著者にして、『ロリータ』における駒の配置の意味はつかめたものの、その配置が意味する作者の構想はまだ読み切れていないと言う。この本は著者の読み筋を示す中間報告のようなものであるらしい。 さて、その読み筋だが、新潮文庫版でわずか5ページ分にあたる文章を精読することで、ナボコフを読む実例を示している。二つの映画版を参考にしながら、脚本と原作では何がつけ加えられ、何が省略されているかを追うことで、作者ナボコフの意図したことを探ってみせる。なぜ、小説では壁に掛けられた絵がゴッホ作「アルルの女」とあるのに自身が書いた脚本では、その絵の記述がないのかという、言語レベルと映像レベルの想像力の喚起するものの差異を論じたあたりは知的なミステリでも読むようで、論理と想像力の結びつきが愉しい。 最も考えさせられたのは、ハンバートの改心が本物かどうかという問いである。たしかに、谷間から少女たちの声が聞こえてくる場面でのハンバートの心情には、ニンフェットではない現実のロリータへの愛がうかがわれ、評者のようなナイーブな読者は感動を禁じ得ないところだが、著者はそれに疑義を呈する。果たして、ハンバートは本当に改心しているのだろうか、と。その一つの根拠として、話法の問題を採り上げる。直接話法の記述を間接話法に変換することから生じる滑稽味を例にとり、ハンバートの回想録の信憑性を括弧の中に入れるのだ。 真に反省している人間が、自分の過去を語る文体を喜劇的なタッチで飾ろうとするだろうか、という疑問はたしかにあり得る。作中のハンバートには登場人物としてのハンバートと回想記の作者としての二つの位相があり、先に採り上げた場面を含め、その場面のレベルでは感動しても、読みすすむ中で文章を記述しているハンバートという話者のレベルに立つと、回想録に一切の作為がないとは言えなくなるからだ。 『ロリータ』はジョン・レイ・ジュニア博士の序文にはじまり、第一部、第二部とハンバートの回想が綴られる。多くの読者は最後まで読んで、もう一度序文に戻るだろうが、二度目に読むときは、同じ場所ではなく一段高い位置に立っている。著者はその構造を円環的でなく螺旋的と表現する。すなわち、読めば読むほどより高い読みが発見できる。『ロリータ』という小説の持つ魅力はそこにあるのではないか。緻密な読みであるが、これですべて語り尽くされた訳ではない。なにせ、たった5ページ足らずである。読者には著者に倣って自分の読み筋を見つけていく楽しみが残されている。『ロリータ』読みなら、外せない一冊である。

Posted by ブクログ

関連商品

最近チェックした商品