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当世書生気質 岩波文庫

坪内逍遙【作】

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店/岩波書店
発売年月日 2006/04/14
JAN 9784003100424

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商品レビュー

3.1

17件のお客様レビュー

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2010/05/28

明治時代の大学生青春…

明治時代の大学生青春物語といった内容です。男前で秀才の小町田という大学生(書生)と芸者の恋愛を中心にそれを取り巻く特徴的なお友達の青春群像が楽しめます。

文庫OFF

2024/03/01

私はこの小説を江戸時代の戯作の延長線上にしか感じられなかった。坪内逍遙は、「小説神髄」で言文一致を唱え、小説は芸術だと語っていたのだが、この小説でそれが体現できているとはとても思えない。 言文一致については、会話は口語で読みやすくなっていたものの、地の文は全くの文語体で、逍遙は言...

私はこの小説を江戸時代の戯作の延長線上にしか感じられなかった。坪内逍遙は、「小説神髄」で言文一致を唱え、小説は芸術だと語っていたのだが、この小説でそれが体現できているとはとても思えない。 言文一致については、会話は口語で読みやすくなっていたものの、地の文は全くの文語体で、逍遙は言文一致とは一体どのような意味で言っていたのか、私の理解が到らないのかと疑ってしまうほどだ。考えられるのは、まず、逍遥が考えていた言文一致とは、この会話の表現と実際とを同じにすることだけだった。二つ目は、地の文も言文一致にしたかったが、それまで綿々と受け継がれてきた日本の文学の文体に縛られて、これが限界だった。三つ目は、これでは不十分であることは分かっていたが、これまでと違いすぎることでのハレーションを避けて、中庸を選択した。いずれにしろ、この小説が言文一致としては、全く中途半端であることは、坪内逍遙の影響を受けて、書かれた二葉亭四迷の「浮雲」を読めば明白である。 芸術性については主観的な判断もあるが、会話の鉤括弧の前に話者の頭文字を付けたり、()を使って説明する手法は頂けない。読者には、文脈で話者を分からせたり、通常の文章の流れで理解させたりしてほしい。なぜなら、その方が美的だと思うからだ。これについても、四迷は「浮雲」の中で体現している。 書き言葉が、話し言葉と同じになる前は、文章を書くこと、あるいは読むことは、それを教育されたものの特権だった。つまり、文化はある階級の中で留まっていた。時代を経るに従って、文化の担い手は貴族、武士、商人と広がっていったが、階級は存在しその階級の枠が広がっただけがだった。その枠をぶち壊した一つの要素が、この言文一致だ。そう考えると、この運動が逍遥のレベルから一気に四迷の切り開いた高みまで到達したことは、日本の文学にとって、あるいは、文化にとって非常の幸運なことだったと思う。

Posted by ブクログ

2022/08/13

 1885(明治18)年作。 『小説神髄』で大風呂敷を広げた坪内逍遙先生が、実作ではこんな愚作を書いただけということに驚愕した。全然、近代小説になっていない。ヨーロッパの近代小説をあれこれ読んだはずなのに、その形態とはかけ離れて、江戸時代の草紙のような逆行する前-近代に止まってい...

 1885(明治18)年作。 『小説神髄』で大風呂敷を広げた坪内逍遙先生が、実作ではこんな愚作を書いただけということに驚愕した。全然、近代小説になっていない。ヨーロッパの近代小説をあれこれ読んだはずなのに、その形態とはかけ離れて、江戸時代の草紙のような逆行する前-近代に止まっている。  逍遙の提唱する「勧善懲悪を排して写実を」というスローガン、ここでは「勧善懲悪」ではないにしても、地の文ではやたらに説教くさくて全く近代小説らしくないし、当時の「書生界隈」を写実したつもりなのか、ただ漫然と彼らの会話を長々と書いているが、全部無駄口で、すべてを読む必要などない言いたくなる。  しかも「人情」を重視するはずなのに、ストーリーの核心と思われる青年たちの恋愛心理は全然掘り下げられておらず、何も発展してこない。  最後は「芸妓の○○は実は××の娘であった」という前-近代的な「大団円」を迎えるが、こんなものを写実と言われても困る。  この2年後の二葉亭四迷『浮雲』の方が遥かに「近代的」だし「小説」になっている。時代が待ち望んでいたのは四迷・鴎外であったか。  歴史的資料として以外は何も価値の無い駄作である。

Posted by ブクログ

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