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死なないでいる理由
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死なないでいる理由
¥385
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商品レビュー
3.7
4件のお客様レビュー
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新聞などに連載されていた文章を集めたもの。よって、タイトルにあるような死なないでいる理由について体系的に述べた本ではなく、一見関係なさそうな都市論とかモードの話とかいろいろ述べられていて、何か明確な答えがあるわけでもない。その点は少し残念なような気もするが、全体として面白かった。答えがないのが正解で、美しくまとまったものより不器用なものの方に真実がある、という話もあったことだし、死なないでいる理由の答えは読者が訥々と考えていくしかないということなんだろう。 大宅映子の「死ぬと分かっていて、なぜ人間は生きてゆけるのか、そういう根源的な問いに答えを出していくのが文学部というところだ」という講演のくだりが何回か引用されていて、それがこの本のタイトルに影響してるのかなと思う。 書かれた文章が90年代後半から2000年代前半のものが多くて、今はだいぶ時代は変わったと思う。パノプティックで一方向的なテレビの代わりにインターネットが主流となったし、家でパソコンを開くよりも手軽にポケットにあるスマホで簡単に世界と繋がれるようになったし、この一年は顔がほとんどマスクに覆われているし。だから状況が違うことは大分あるのだろうけれど、会社でも学校でも自分は取り替えのきく存在だと感じてしまったり、その裏返しで恋愛に憧れたり、なんか見えちゃってるという若者の悟りは深くなってる気もする。所有から交通の時代、という意味では、メルカリとかまさにその流れで、所有しているものが人格を表す時代は終わりつつあるのかなと思った。 あと繰り返し出てくる話で印象的なのは、私たちは生老病死の、自分たちの命に関わる最も根源的な事柄を外部に委託して不可視化していること。胎脂や血液に塗れた新生児も、孔から体液の漏れ出す死体も、他人の排泄物も私たちはほとんど見たことがないし、どうやって処理されてるか知らない。自分が生きるために殺さなければならない他の命も、きれいに処理され、ラップに包まれた状態で売られていて、その手触りさえまともに分かっていない。そんなところから命の実感、生の実感がなくなってきている 関連して、丹念に世話され育てられた作物や家畜が殺されて綺麗にパッキングされて売られているのと、大切に育てられた花や枝を引き裂いたりもいだり=殺して完成された生け花を重ね合わせる視点が面白いと思った。
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ゼミでみんなと読んだ本。読んだ私を問いのループに導いてくれる。答えがないことが生きることだと思う。答えがないから生きている。
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タイトルに魅かれて、まさに「死なないでいる理由」が知りたくて、 昔に買っていた本。 結局、答えは書いていなかった。 たくさんの問いがただひたすらに投げかけられていたように思う。 今、読んだことに意味があった。 前半は★5つ!だった! 著者の思考が私と同じで、共感かつ、言語化してくれてありがとう!って感じでした。 後半は同じことが何度も出てきて、残念!! この本が書かれてからほぼ10年。 著者があげている社会問題は何一つ解決することなく、 深まっているばかりだと思った。 私もまた、その問題点に共感している訳で、 じゃあ、私はそこへどんなことができるのか。 自分も含めて、もっとみんな楽しく生きれたら良いのに。 そう思うんだ。 ----------------------- 心に留めたい言葉たち 「何かが欲しい、という思いをキープするのは、その何かが今の自分にはないという無力感をキープするのは、その何かが今の自分にはないという無力感をキープすることで、それはとても難しい」 「そして不幸にも、じぶんに固有のものは何か、じぶんにしかないものとは何か……というふうに、所有の根拠への問いをじぶんの内部へと向ければ向けるほど、内部の空虚も膨らんでゆくこともいやというほど知っている。」 「ひとりのひとがその身体を終生生きるということは、ふつうありえない。」 「生きているというこが生きていないということより価値がある、在ることは無いことより価値があると言いうる究極の根拠を、希望としてではなく示せるだろうか。」 「死ぬことがわかっていて、それでも死なないでいる理由とは何か。」 「幸福への想いというのは、たぶん、不幸の影だ。不幸が幸福の陰りなのではなくて。」 「足りていないことを足りていないと意識するのはしかし、人間の遂げたひとつの達成なのか、それとも人間が陥ったひとつの悲惨なのか。それは、そのたりなさへのかかわり方、つまりは不幸へのかかわり方で決まる。」 「走りながらでしか時代に距離を置けないのが、現代という時代だ。」
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