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スサノオ神話でよむ日本人
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スサノオ神話でよむ日本人
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「見捨てられ」の不安を覆うべく次第に肥大化していく自我(アマテラス)を、外界(外圧・外敵)に投影される無意識の働き(スサノヲ)がリセットする。子どもたちの「荒れ」や「引きこもり」も、あるいは皇国・敗戦、バブル・崩壊も、それで読み解きうる。そんなことが書かれている。ユング派の分析は...
「見捨てられ」の不安を覆うべく次第に肥大化していく自我(アマテラス)を、外界(外圧・外敵)に投影される無意識の働き(スサノヲ)がリセットする。子どもたちの「荒れ」や「引きこもり」も、あるいは皇国・敗戦、バブル・崩壊も、それで読み解きうる。そんなことが書かれている。ユング派の分析は、(本書の語り口がやや大仰であることもあって)どうしてもこじつけとしか思えないような展開が目に付くのだが、これはこれで一つの見方として参考にはなる。
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元型が人の個性化の過程において、「病」として表出する。 筆者は特に日本人の典型として、南方熊楠、宮澤賢治、斉藤茂吉を紹介する。 いずれも、繊細さと無邪気さ、同時に暴力的で衝動的な両価的な面を持ち、それはスサノオにつうづると、筆者は考察している。 元型論を日本人に当てはめた...
元型が人の個性化の過程において、「病」として表出する。 筆者は特に日本人の典型として、南方熊楠、宮澤賢治、斉藤茂吉を紹介する。 いずれも、繊細さと無邪気さ、同時に暴力的で衝動的な両価的な面を持ち、それはスサノオにつうづると、筆者は考察している。 元型論を日本人に当てはめた著作。
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「記紀神話」に登場するアマテラスとスサノオの姉弟神が、日本人の心性の二つの側面をそれぞれ象徴的に示しているという主張が展開されています。 著者は、アマテラスが象徴するのは自己愛性人格障害だといい、その誇大化された自己によって隠蔽された「見捨てられ感」を暴力的に暴き出すのが、てん...
「記紀神話」に登場するアマテラスとスサノオの姉弟神が、日本人の心性の二つの側面をそれぞれ象徴的に示しているという主張が展開されています。 著者は、アマテラスが象徴するのは自己愛性人格障害だといい、その誇大化された自己によって隠蔽された「見捨てられ感」を暴力的に暴き出すのが、てんかん性を象徴するスサノオだと考えます。スサノオのてんかん的性格は、爆発的な怒りと自然への一体感、子どもっぽさと宗教性といった、相反する特徴が同時にそなわっているところに現われています。また著者は、こうしたスサノオ的な気質を創造性へとつなぐことに成功した、宮沢賢治、斎藤茂吉、南方熊楠についての考察もおこなっています。 河合隼雄と同じく、ユング心理学に基づく日本文化論ないし日本人論の試みとしておもしろく読みました。ただ、著者の日本人観が最初から定められており、それに見合う神話の登場人物としてスサノオを持ち出しているような印象もあります。たとえば著者は、戦前・戦中における日本人の自己愛的高揚感が敗戦によって傷つけられ、次いで目覚ましい高度経済成長を遂げるも、バブル崩壊によってふたたび自信を失ってしまったことを、本書の枠組みのなかで理解しようとしています。たしかにこうしたプロセスを、アマテラス的な誇大的自己によって隠蔽された「見捨てられ感」がスサノオによって暴かれふりだしに戻されたものとして読み解くこともできるかもしれませんが、こうした枠組みは、岸田秀の描く近代日本の精神病理とあまりにも似通っています。 いうまでもなく岸田は、フロイトの精神分析を独自の社会心理学として解釈する立場に立っており、著者はユング派の立場に立っているのですが、両者が奇しくも同じ地点に到達したというより、はじめから日本人の気質に関する共通の了解があり、それぞれがみずからの道具立てを利用して同じ地点に向かっていったのではないかと思えてしまいます。
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