1,800円以上の注文で送料無料

  • 中古
  • 書籍
  • 書籍

二重言語国家・日本 NHKブックス859

石川九楊(著者)

お気に入りに追加 お気に入り 追加 追加する お気に入りに追加 お気に入り 追加 追加する に追加 に追加する

定価 ¥1,067

¥110 定価より957円(89%)おトク

獲得ポイント1P

在庫なし

発送時期 1~5日以内に発送

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 日本放送出版協会
発売年月日 1999/05/28
JAN 9784140018590

二重言語国家・日本

¥110

商品レビュー

2.2

5件のお客様レビュー

レビューを投稿

2017/03/21

ちょっと、この著者ムチャクチャ。日本語は「天」が不在、その「国語」の思想が日本人の甘えと馴れ合ってナショナリスティックな傲慢さを生んでいる、、????少し気がちがっているのではないか? とにかく自身の旧左翼的文脈に日本語論をミックスさせたいようだが、書道の先生がこれをいうのはやは...

ちょっと、この著者ムチャクチャ。日本語は「天」が不在、その「国語」の思想が日本人の甘えと馴れ合ってナショナリスティックな傲慢さを生んでいる、、????少し気がちがっているのではないか? とにかく自身の旧左翼的文脈に日本語論をミックスさせたいようだが、書道の先生がこれをいうのはやはり無理がある。寿司屋は日本的コメの伝統に寄りかかって甘えていると言っている寿司研究家と同じだ。英語の先生にでもなったらいいのに。

Posted by ブクログ

2013/12/09

他の日本文化の本で引用されていたので、読んでみた。 日本語が、漢語と和語の二重言語であるというのはわかるし、 西洋の声中心言語に対して、日本が文字中心言語というのもわかるが、 その後の論理展開についていけない。 私の理解力と知識の無さのせいだとは判っているが。 日本人が、 耳...

他の日本文化の本で引用されていたので、読んでみた。 日本語が、漢語と和語の二重言語であるというのはわかるし、 西洋の声中心言語に対して、日本が文字中心言語というのもわかるが、 その後の論理展開についていけない。 私の理解力と知識の無さのせいだとは判っているが。 日本人が、 耳から入った音に漢字を無意識に当てはめているとしたら、 視覚的イメージが伴わない英語が苦手なのは、 そのせいなのか。 そして、日本人の意識にとって「書」が大事だとしたら、 もはや鉛筆で文字を書くことすら失われつつあるこのご時勢では、 今後日本文化はどうなっていくのだろうか。 などと、余計なことばかりが頭に浮かんだ。

Posted by ブクログ

2012/03/07

 本書は、書家であり書道史家である著者による日本語論及び日本文化論である。  著者は,「声と書字」の観点から,アルファベットという発音記号を開発した声中心言語と,一文字でひとつの意味を有す漢字を基盤に持つ書字中心言語の二種類に言語を区別する。西欧諸国の言語は声中心言語であり,日...

 本書は、書家であり書道史家である著者による日本語論及び日本文化論である。  著者は,「声と書字」の観点から,アルファベットという発音記号を開発した声中心言語と,一文字でひとつの意味を有す漢字を基盤に持つ書字中心言語の二種類に言語を区別する。西欧諸国の言語は声中心言語であり,日本語は書字中心言語である。そのうえで,日本語は,「漢字=漢語」と「ひらがな=和語」という二つの系統をひとつの言葉の中に併せ持つという二重複線性を備えた言語であり,日本語が備える二重複線性が,重層性を持つ特異な日本文化を構築していると著者は論じている。  例えば英語と比較して,日本語が文字などの書き言葉に大きく依存した書字中心言語であることを,著者は「文字を聞き」「文字を話す」と表現している(18頁)。これは,普段の日常会話を思い浮かべても納得させられる。多くの場合には無意識であっても,耳から入る言葉を漢字に変換することで言葉の意味を了解しているからだ。また,日本語の熟語には,音読みと訓読みによってふたつの読み方が可能であることが多い。例えば「春雨」は「シュンウ」であり「はるさめ」である(108頁)。不思議なことに,「シュンウ」にはかたく冷たい印象を持つし,「はるさめ」にはやわらかく暖かい印象を持つ。ここには,著者のいうとおり,日本語の備える二重性が原因としてあるのだろう。  本書の中で,著者は(中国語から独立した)「日本語」の成立と,その成立に至るまでの日本語の構造変化を,書体(書きぶり)の変化という視点から分析している。平安時代の頃に,中国文字としての漢字から日本文字としての和様漢字へという変化が起こった。和様漢字は楷書をモデルとした三折法を用いずに,日本独自の書きぶりを根底に持つのだという。この時期に,漢語から和語への変換も盛んに起こっており,それによって二重複線性を備える日本語が成立したのだという。このような分析は,長年の書の経験に裏打ちされた書家・書道史家である著者ならではのものであり非常に興味深い。    しかしながら,いくつかの点で本書には納得できない点もある。  第一に,本書では言葉が曖昧に使用されている。例えば,本書で中心的な役割を果たす日本語の「二重性」について,一方では「詞としての漢語に対する辞としての和語の主従関係」を二重複線性と言い,他方では「ひとつの言葉は表裏に持つ漢語と和語との関係」を二重複線性と言っている(108頁)。  第二に,言語の二重性から日本文化の特異性を論じる際に,余りに突飛な議論を展開していることが多々ある。本書で論じられている天皇制に関する議論を例に挙げよう。本書によれば,二重複線言語・日本語の象徴たる和歌を始めることで天皇が日本を治めつづけてきたのであり,「歌会始」の終焉とともに天皇制も終焉するだろうという(138~139頁)。歴史的に,権力者が文字や言葉を支配することで権力を維持してきたことはそのとおりであろう。しかし,秦の始皇帝による文字統一は,同じ文字を使用する民族として支配の及ぶ範囲を確立したのであり,またキリスト教圏において聖職者のみが自分たちの権威を維持するためにラテン語を特権的に用いてきたのとは異なる。本書の議論には論理の飛躍があるように思える。

Posted by ブクログ

関連商品

最近チェックした商品