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わたしたちの脳をどうするか ニューロサイエンスとグローバル資本主義

カトリーヌマラブー(著者), 桑田光平(訳者), 増田文一朗(訳者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 春秋社
発売年月日 2005/06/20
JAN 9784393322239

わたしたちの脳をどうするか

¥2,255

商品レビュー

4.5

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2021/03/21
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結局ニューロン人間は自らを語ることができなかったのだ。 <可塑性と投企> (ハイデガー) 投げ入れられつつ投げ入れる 象られつつ象る 自己を一つの作品として彫琢し彫琢されること 経験論と合理論の間に可塑性がある <脳と世界の一致> 中心性こそがメタファー、解釈である 見立てられた権力 <社会の変化~神経学的メタファーとグローバル資本主義社会との照応~> 現代の価値とは雇用可能性=柔軟性、適応性 管理職→経営者、マネージャーへの変化 世界の流動性に対応できるためのしなやかさ、順応性、従順さ これら柔軟性は、可塑性の一面でしかない もう一面の自らを彫琢することは積極的に柔軟性の否定として作用する=自らを訓練すること→認知行動療法、反復による新たな習慣化など 反復により自らを方向付けることの可能性 習慣化が必要であるといういことは、それだけわたしたちが生きる場-自然-脳-社会が不安定であるということ、つまり定めっていない自由の余地が残されているということにほかならない。 <有機的な細胞たること> 現代の資本主義は歯車になることよりも自己組織化する有機的な細胞たることを求められている。 フォードの時代は終わり、アプリの時代が来ている こんな時代に求められる要素といえば。。。 →イニシアティブ、責任、モティベーション、柔軟性、計画する能力、動き回る能力、ヴァイタリティ、フットワークの軽さ →実存そのものが一つの企業、一つの事業(プロジェクト)とみなされるプロジェクト型個人という考え方に耐えられないものが病人とされる →誰もが選択し決定しその責任を負い、不安定で流動的なこの世界で生き残ることが必要になる →その過酷なサバイバルを求められる世界にあって、自己であることに疲れてしまう。行き着くところは、鬱。蔓延化し常態化した鬱の世界、無気力の群れ。 流動的で不安定な切断された個人をある時、ある場所に集中させることによって力と利益を引き出す。マネージャーに求められるものだ。 →プロジェクト型の世界 <離脱、鬱> 社会からの離脱、排除=雇用可能性、順応性の不足 →ネットワークからの離脱、細胞の死(アポトーシス)、コネクション(接続)からの切断 社会は離脱者に心の行動の上での可塑性の回復と接続への回復を求める 適応性の不足→ストレス過剰→HPA軸→コルチゾール→海馬へのダメージ→可塑性の低下→適応性の低下 LTD(long term depression)長期抑制=うつ病 →感情調整薬がストレス耐性、活動性、モティベーション、柔軟性が重視される現代においてますます重要性を増してくる。 クスリだけではなく、上記を得るための文化は力を持つようになるだろう。 →なぜこんなに自己啓発本(モチベーション云々や幸福度がやたらと取り沙汰される)が売れるのか <意味とパターン> 原自己(ダマシオの提案) →自らの一貫性を維持する有機体とそれ自体の有機的表象 意味とはニューラルパターン=ニューロン結合とその発火パターンである <ニューロサイエンスがなしえることは?> 基本的に病んだ世界。有効治療による生のクオリティを向上させることだけなのか? →病者の理論 自らを作り変えることによる生の抵抗 →自己の差異転換 自己の自己構成は単なる適応ではない。形そのものへの抵抗からのみ自らを形づくる 形はそれ固有において矛盾をはらんでいる=弁証法的なのだ 神経的なものと心的なものは同じ言語を話さない ここに透明な連続性は存在しない。この矛盾の出会う場において移行、相互抵抗が生み出され、一方から他方への繋がりが可能になる。 矛盾し合うものは矛盾それ自体によって交通する 世界との相互作用の中で自己を作り変えていくことが生きるということ 与えらつつ与えていく ホメオスタシスから自己生成 <従順でなくなること> 柔軟性への抵抗 →怒ること 従順で愛想がよく、何事にも動じないものを称揚する文化を爆破すること →テロ(プラスチック爆弾)ではないと言っているが、肯定的な怒りとはなんだ? 脳は有機的緊張の場

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2019/05/09

[出典] 意味の無い無意味 千葉雅也 [出典] 「現代思想入門」 千葉雅也 P.189 差異概念の可塑性

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2012/04/11

様々な科学的知見から、もはや脳を古典的な「機械」、「展望のないプログラム」のようなものとして類推することは許されない。脳とは可塑的な機構であることが判明しているのだ。 しかし、未だ多くの人が、この単的な事実=脳の可塑性を受け入れていないし、受け入れようとしない。それはなぜなのか・...

様々な科学的知見から、もはや脳を古典的な「機械」、「展望のないプログラム」のようなものとして類推することは許されない。脳とは可塑的な機構であることが判明しているのだ。 しかし、未だ多くの人が、この単的な事実=脳の可塑性を受け入れていないし、受け入れようとしない。それはなぜなのか・・・? マラブーの回答は、実にあっけらかんとしている。それは我々自身の生きる社会が一見すると可塑的なものであり、そのなかで生活しているから、見えなくなっているのだと言う。しかし、注意しなければならない。一見すると可塑的に見えるこの社会は、実は可塑的なのではなく、そのイデオロギー的な側面が強調された柔軟性の社会なのだ。 それでは、「可塑性」「柔軟性」とはどういう意味なのか。ここが重要であろう。マラブーは語源的に遡る(この辺りは実にデリディアンな気がする笑)と「可塑性」(plasticite)には3つの意味があると言う。 1.形を受けとる能力2.形を与える能力3.あらゆる形の消滅(爆発) すなわち、一方には「形にはなすという感覚的形象」の意味がありながら、もう一方で「形の消滅(爆発)」(プラスティック爆弾のプラスティック)があるのだ。後者の形の消滅(爆発)は、あまり注視されてこなかったが、マラブーは後者の爆発こそ重視する。そして、この二つの相矛盾する意味合いー造型と爆発ーこそが重要だとマラブーは力説する。 他方で、「柔軟性」(flexibility)とは何か。これは「可塑性」の前者の意味のみを拾い上げたもので、現代のネオリベラルな資本主義形態にとって最も重要な概念としてこの「柔軟性」という言葉が要請されていることを説く(雇用・人材の流動性、組織の可変性と多様な人材などなど)。 この柔軟性の蔓延が、脳が可塑的な機構であるという単的な事実を気付くことから阻害しているし、他にも様々な問題を引き起こしている。それでは蔓延する「柔軟性」に抵抗していく手立てはないのか。 その抵抗の戦略としてマラブーが掲げるのが、先の「可塑性」という言葉のなかに相矛盾する意味合いが含まれている、その弁証法的な契機である(このあたりはよーわからん)。・・・ 「爆発を恐れるあまり、永遠の自己制御と、諸々の流れ、移動・交流のままにみずからを変えていく能力とを結合した柔軟な個人であることを拒否すること。諸々の流れをはね返し、自己制御の監視をやわらげ、ときには爆発することを受け入れること、これがわたしたちの脳についてなすべきことである。・・・「わたしたちの脳をどうするか?」と問うことは、柔軟性の勝利を称賛し、微笑みつつ頭を下げるしか取り柄のない従順な個人の支配を称揚するだけの政治的・経済的文化、そしてまた悲しむべきマスメディアの文化に対して、もちろん、そしてとりわけ、否と言う可能性を考察することである。」(pp.134-135) ラストはよくわからんかったが、脳の可塑性と柔軟性、脳の問題は極めて政治的な話で、かつてフーコーが問題視した、セクシュアリティ問題のような様相を呈しているという訳者解説も「なるほど!」と。非常に面白かった。 ちなみに、ここ数年間、(少なくとも日本では)脳科学ブームとなっているが、これをマラブーはどう見るのでしょう。僕は不勉強で、この脳科学ブームには完全に出遅れていて、ほとんど何も読んでいないので、マラブーが批判するように、脳を機械/コンピュータのように類推しているのか、それすらわからない・・・。

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