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霊山

高行健(著者), 飯塚容(訳者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 集英社
発売年月日 2003/10/24
JAN 9784087734003

霊山

¥990

商品レビュー

4.2

12件のお客様レビュー

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2022/07/23

評価が難しい小説。。笑 本人も小説内で言ってるように、これは本当に小説なの?登場人物の関係性がよく分からないし、ストーリーというのもはっきり見えない。 創作という観点では小説なんだろうけれども、内容としては随筆に近い感じ。ただまあ、祖国から表現の自由を奪われたり癌で余命宣告を受け...

評価が難しい小説。。笑 本人も小説内で言ってるように、これは本当に小説なの?登場人物の関係性がよく分からないし、ストーリーというのもはっきり見えない。 創作という観点では小説なんだろうけれども、内容としては随筆に近い感じ。ただまあ、祖国から表現の自由を奪われたり癌で余命宣告を受けたりすれば、色んなこと考えちゃうよねー。 性愛論と宗教論が強め、中国の田舎民族や自然の描写も結構多い。

Posted by ブクログ

2021/08/12

バッハの『無伴奏チェロ組曲』のように、読む者を深い瞑想へと誘なう小説だ。 先日読んだ鄭義の『神樹』とはいかにも対照的に、この物語では事件らしき事件はほとんど起きない。 ただひたすら、主人公である作家の霊山を探しての彷徨と果てしない内省が描かれる。 霊山とはいったい何だろうか? ...

バッハの『無伴奏チェロ組曲』のように、読む者を深い瞑想へと誘なう小説だ。 先日読んだ鄭義の『神樹』とはいかにも対照的に、この物語では事件らしき事件はほとんど起きない。 ただひたすら、主人公である作家の霊山を探しての彷徨と果てしない内省が描かれる。 霊山とはいったい何だろうか? 「人間到る処青山あり」の青山(墓)だろうか? この物語では、主人公の人称が、ある箇所では「おまえ」と表記され、別の箇所では「私」と表記される。 そればかりか、同じ文章の中に「おまえ」と「私」が混在する箇所すらあって、読む者を煙に巻く。 小説の最終盤では、人称は、ついに「彼」と変化して、小説論を語っている。/ 《おまえが霊山に至る道を探していたとき、私は長江に沿って旅を続け、このような真実を追い求めていた。私はちょっとした事件を体験し、医者の誤診のために肺癌を宣告された。 (略) 私はもっと早く、あの汚染された環境から抜け出し、自然の中に戻り、真実味のある生活を追求すべきだった。 ー中略ー 私は、いま自分が歩んでいるのが正道なのか否かを知らない。いずれにせよ、あの賑やかな文壇を離れ、いつも煙が立ち込めていた自分の部屋から抜け出してきたのだ。》/ また、主人公が旅の途中で出会う女たちも「彼女」と表記されるだけで、ほとんど名前すら与えられず、わざと没個性的に、それぞれが識別困難なほど曖昧に描かれる。 それは、テオ・アンゲロプロスの映画『ユリシーズの瞳』において、主人公を取り巻く女たちを、マヤ・モルゲンステルンが一人四役で演じたように、まるで 「すべての薔薇は一輪の薔薇」と言っているかのようだ。 すべてが、濃い霧に覆われたように境界や区別が不明瞭で、それゆえ一層読む者を夢想へと引きずり込んでゆく。/ 「私」は、本物の原生林が見たいと言って、ガイドと共に深山へと歩み入る。 《霧が流れてきて、私の目の前の地面から一メートルほどのところで、パッと広がった。私は身をかわしながら、霧を手で払った。炊煙のように、はっきり目に見える霧だった。私は小走りになったが、それでも間に合わない。霧は私の体をかすめて広がり、目の前の景色があっという間にぼやけてしまった。色彩も失われた。続いて湧き出てきた雲はさらにはっきりした塊となり、渦巻きながら漂っている。 ー中略ー 灰色の雲がまた背後から近づいてきた。谷があり、窪地があり、倒れた幹があることも、まったく意に介していない。私は雲の先を行くことができなかった。雲は落ち着き払って、私に追いついてくる。私は雲に巻き込まれた。目の前から景色が消え、あたり一面が朦朧となった。 ー中略ー 私は立ち上がり、漠然とした期待を込めて大声で叫んだが、返事はなかった。》 悪夢のようなこの部分の描写に強く惹かれる。/ また、「私」は、歴史上最古の王朝の初代皇帝である禹の陵墓を訪れる。 《この禹陵に現存する考証の価値のある遺物は、本殿の向かい側の石碑だけだった。まだらに剥げかかった、おたまじゃくしのような文字は、専門家にも判読できない。繰り返し眺め、繰り返し考えているうちに、私はハッと気づいた。「歴史は謎だ」と読めるではないか。 「歴史は嘘だ」とも読めた。 ー中略ー 歴史とは、どのように読んでもいいのだ。これは本当に重大な発見だった。!》 高行健は、1990年にこの小説を世に出したとき、既に祖国との訣別を決意していたのだ。/ いつもながら、とりとめのない感想だが、映画『めぐり逢う朝』のヴィオールの音色のように妙に心に沁みてくる作品だ。/ 高行健について:小説家、劇作家、画家。1940年中国江西省生まれ。81年、北京人民芸術劇院専属の劇作家となる。 82年、劇作『非常信号』が高く評価される。翌年上演された不条理劇『バス停』が激しい批判にさらされる。その後、絵画に活路を見いだし、88年からパリに逗留。89年、パリで天安門事件を知り、90年、政治亡命者となる。以降、中国では全作品が発禁。97年、フランス国籍を取得。『霊山』(90年)、『ある男の聖書』を中心とした活動で2000年度ノーベル文学賞受賞。(訳者解説及び作者紹介より)

Posted by ブクログ

2016/06/12

一度読んだだけでは難しかった。 私、おまえ、彼女、彼、いくつもの視点から様々な場所、冥界、とにかくスケールが大きかった。

Posted by ブクログ

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