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文明論之概略 岩波文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店/ |
発売年月日 | 1995/03/18 |
JAN | 9784003310212 |
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商品レビュー
4.1
19件のお客様レビュー
この本を読まずに、一…
この本を読まずに、一万円札を「諭吉」よばわりしてはだめ^-^書き方が少し難しいけど、何度も何度も読んでみたら「あぁ!!」ってなるはず。この本と照らして見てアメリカの最近の行動が、明治日本より退行しているのでは??と思うかも。子安宣邦と丸山真男の『-精読』、『-を読む』も読んでみた...
この本を読まずに、一万円札を「諭吉」よばわりしてはだめ^-^書き方が少し難しいけど、何度も何度も読んでみたら「あぁ!!」ってなるはず。この本と照らして見てアメリカの最近の行動が、明治日本より退行しているのでは??と思うかも。子安宣邦と丸山真男の『-精読』、『-を読む』も読んでみたら面白さ倍増。よかったらどうぞ。
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日本に足りないのは実学。数理学や近代科学。人は生まれながらの貴賎の差はないが、実学を学べば地位の高い人・金持ちになる。実学を学ばなければ、地位の低い人・貧しい人になる。▼国を守る。国のために命を捨てる。自由独立を守る。国民のわずかがこうした気概を持っているだけでは独立は守れない。...
日本に足りないのは実学。数理学や近代科学。人は生まれながらの貴賎の差はないが、実学を学べば地位の高い人・金持ちになる。実学を学ばなければ、地位の低い人・貧しい人になる。▼国を守る。国のために命を捨てる。自由独立を守る。国民のわずかがこうした気概を持っているだけでは独立は守れない。国民ひとりひとりが独立自尊の精神を持たねばならない。「日本人は日本国をもってわが本国と思い、その本国の土地は他人の土地にあらず、わが国人の土地なれば、本国のためを思うことわが家を思うがごとし。国のためには財を失うのみならず、一命をも抛(なげう)ちて惜しむに足らず。これすなわち報国の大義なり。」『学問のすすめ』1872 日本では被治者は治者の奴隷だという発想がある。政府に任せきり、国の事に関与しない態度。日本には政府はあるが、国民(ネーション)がまだない。まず精神的な態度を身に着けるべきだ。▼儒教は徳による統治ばかりで、体制の維持に利用されてきた。停滞の原因だ。違う意見を持つ多くの人が、さまざまな事柄に関して議論する自由の気風を制限してきた。また、儒教は能力のある者を抑圧する身分制度を正当化してきた。▼明治維新が起こったのは人民に、知恵の力が育ってきていたからだ。ペリー来航はきっかけに過ぎない。中国と違い、武士が天皇から権力を奪ったことも、自由の気風が生まれる遠因になった。『文明論之概略』1875 祭祀(まつり)と政治(まつりごと)を明確に分けるべき。政治は損得勘定にかかわるものであり政党がすべきこと。王たる者は自ら政治に当たるべきではない。民心融和の中心にならねばならぬ。天皇は党派によらない権威であるからこそ、危機に際して国民の一体化を容易にする。天皇は国民統合、歴史伝統の象徴であり、直接に政治権力を行使しないことにこそ意味がある。『帝室論』1882 (以前から支援していた金玉均による朝鮮近代化が西太后に潰された甲申政変1884の翌年) 中国や朝鮮は儒教思想に染まったままだ。日本はこれらの地域と共にアジアを興そうと考えることなく、西洋文明国と行動を共にすべきだ。『脱亜論』1885 ********************* ※適塾(現大阪大学, 緒方洪庵)に学ぶ。 ※人間と人間が関わる。これがsocietyの本質。societyを「人間交際」と訳す。
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全編を通じて、権力の偏重と行政の無責任さ、学者の見識外れ、民衆の政治的関心の低さなどを嘆じる義憤が、通奏低音のように流れている。やむにやまれぬ思いで、一気に書かれたものであろうと推察する。 今から1世紀半近くの昔に書かれたものであるが、その訴えるところはいささかも古びてはいない。...
全編を通じて、権力の偏重と行政の無責任さ、学者の見識外れ、民衆の政治的関心の低さなどを嘆じる義憤が、通奏低音のように流れている。やむにやまれぬ思いで、一気に書かれたものであろうと推察する。 今から1世紀半近くの昔に書かれたものであるが、その訴えるところはいささかも古びてはいない。つまりは、この国の基本的なところは、明治の初め頃と何も変わってはいないということなのである。
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