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室町の王権 足利義満の王権簒奪計画 中公新書978

今谷明(著者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 中央公論社
発売年月日 1990/07/25
JAN 9784121009784

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商品レビュー

4.2

7件のお客様レビュー

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2020/06/03

足利義満が天皇家簒奪に向けて活動していたという説。あまり目立たない印象だが、日本史上の権力者として屈指の権力者だったことが分かる。死後、武士勢力からより戻しがあったという話が面白い。

Posted by ブクログ

2016/01/09

室町幕府三代将軍・足利義満は、絶大な権力のみでは飽き足らず、天皇位という究極の権威まで狙っていた…という主題で書かれたもの。ストーリーとしては抜群に面白く、刊行当時人気が出たのも、その後あちこちに影響が現れたのもよく分かる。ただ資料や情報の取捨選択が強引で、自説のために都合のいい...

室町幕府三代将軍・足利義満は、絶大な権力のみでは飽き足らず、天皇位という究極の権威まで狙っていた…という主題で書かれたもの。ストーリーとしては抜群に面白く、刊行当時人気が出たのも、その後あちこちに影響が現れたのもよく分かる。ただ資料や情報の取捨選択が強引で、自説のために都合のいいものを採ったように見える。巻末で網野善彦の非定住民史観を批判しているが、やっていることにそれほど違いがあるようには…。ひとまず「こういう説もある」ぐらいに留めておくのが良さそう。

Posted by ブクログ

2013/08/16

古本で購入。 前回の『日本の歴史をよみなおす』で触れられていたのを機に、積ん読から解放。 「天皇家がなぜ続いてきたか」 という命題について回答を試みた、今谷明の代表的著作。 内容は、武家として初めて天皇制度の改廃に着手し、簒奪寸前まで行った足利義満の宮廷革命を中心に叙述されま...

古本で購入。 前回の『日本の歴史をよみなおす』で触れられていたのを機に、積ん読から解放。 「天皇家がなぜ続いてきたか」 という命題について回答を試みた、今谷明の代表的著作。 内容は、武家として初めて天皇制度の改廃に着手し、簒奪寸前まで行った足利義満の宮廷革命を中心に叙述されます。 それによって 「天皇家存続の謎を解くカギが、この時期に集中していること、また義満の行実を追うことによって、天皇の権威・権力の内実がおのずから明らかになる」 のだとか。 筆者は義満の王権簒奪の動機について、南北朝戦争の大勢が決していたという若年時の政治的環境と、「力ある武家は公家の上にいなければならぬ」という天成の性格によるものとしている。 また、義満が母の血筋により順徳天皇5世の子孫として生まれ、血のコンプレックスを抱かなかった点にも着目。 こうして尊大な王者意識を持つに至った将軍足利義満による王権簒奪計画が始まっていく。 義満はまず廷臣・僧職に対する官位授与権、つまり叙任権を天皇家から奪う。 それまでも幕府による官位への介入はあったが、義満はそれを押し進め、形式的・名目的に任命権者の地位に就く。 そして仏教界を牛耳るべく、各宗派の門跡に子弟を送り込む。 こうした義満の専断に対する公卿のリアクションが、彼らの日記に生々しく残っているのおもしろい。 そこには猟官運動が実を結び喜ぶ者、苦々しく思いながらも抵抗した際の処置を恐れ日記に鬱憤を漏らすことしかできぬ者…などなど、当時の宮廷の雰囲気の一端が切り取られている。 一方で、義満は祭祀権・国家祈祷権の奪取のため、北山第(現在の金閣寺)を中心に陰陽道重視の祈祷体系を構築していく。 衰微した宮廷祭祀を超えるもの、「国王の祭祀」としての宗教的権威を、仏教・陰陽道をもってつくり出そうとしたのである。 本筋とはあまり関係ないけど、 「(北山第は)山荘どころか国家の中心的な政庁であり、宮殿だった」 というのは初めて知った。おもしろい。 そしてついには明へ使者を送り、「日本国王」としてその冊封体制に入った。 義満自身の中国崇拝もさることながら、これも王権簒奪に必要なことであった。 東アジアの盟主たる明皇帝に「国王」として国際的に認められることは、簒奪の正当性を保障する唯一の方法だったからだ。 その後も、自らに上皇の礼遇を強制し、天皇家終焉を告げる予言詩を流布させる。 さらには妻を天皇の仮の母である准母とし(ひいては自分を准父とし)、息子を「親王」として内裏で元服させた。 いよいよ遠大周到なる簒奪計画も大詰めを迎える。 しかし、義満は急死。 このあまりに唐突な病死に対して暗殺を疑う向きがあるのも、納得できる。 義満の王権簒奪計画について、筆者は 「足利氏で将軍と天皇を独占し、その政権を盤石の安泰に置く」 ためであり、 「天皇に替えて『国王』が百官と幕府を統べる体制を構想していたのではなかろうか」 と憶測する。 つまり義満の狙いは中央集権の絶対王政的体制だった、というわけである。 しかしその構想は、新将軍義持の代で潰えた。 幕府の実権を掌握した斯波義将ら宿老たちによって、路線変更がなされたからである。 彼らにとって、中央集権化・絶対主義という「足利氏1人勝ち体制」は歓迎すべからざるものだったのだ。 一方、天皇家は相次ぐ謀叛などで幕府が混乱する中で、権威・権力を取り戻していく。 幕府が謀叛人征伐の正当性を天皇の発する綸旨に求め、それに依存していったことが大きい。 戦国時代に入っても、天皇制度は「権威」として復活していったという。 官位を求める大名は盛んに朝廷へ運動し、大名間の争いを天皇が調停する。 こうした中で天皇の権威がクローズアップされた。 信長・秀吉・家康といった天下人も、高次調停者として巨大な存在感を示す天皇に勝利できなかった。 江戸幕府は天皇の政治的示威行為を封じ、内裏の一角へ幽囚の身とすることに成功したが、天皇家を廃絶することはできなかった。 筆者はそれを 「外来思想(キリスト教)を排除排撃する場合、当時の日本が、神国思想を対置するしか方法がない」 ため、結果として 「必然的に神国思想→天皇へともどるしかなかった」 からだとする。 つまり幕藩体制が天皇制度を維持した。 ここで冒頭の問いに対する筆者の回答。 天皇制度を維持存続させたのは、時代の政治構造のあり方そのもの。 政治構造こそが天皇を必要としてきたのだ。 天皇制度存続の問題は政治史を正面から扱うことでしか解けない。 現在ではここに書かれた内容についての批判・反論があるのかも知れないけど、とてもおもしろかった。 スリリングな宮廷革命の様子は読み物としてもなかなかレベルが高いと思う。オススメ。

Posted by ブクログ

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