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日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか 講談社現代新書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2007/11/20 |
JAN | 9784062879187 |
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日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
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商品レビュー
3.5
59件のお客様レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
1965年、確かに日本が本格的に経済活動に舵を切った時期に重なる。 1964年東京オリンピック西川東海道新幹線開業、1970年大阪万博。 私の故郷枚方も田畑に囲まれた環境から、田畑が住宅地に変わり、新しくできたバイパス道路の周辺には多くの工場ができた時期に重なる。 田畑に囲まれた時代は毎日が自然の中で遊んでいた懐かしい時代だったと記憶している。 人が自然と会話しなくなり、できなくなった。私もそう感じる。
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日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか。前半部は上野村をはじめとした自然に思いを馳せる程度だったが、中盤部以降、今まで自分が触れることのなかった思考体系をなぞり、脳が興奮した。今まで触れることはなかったけれど、でも感覚的に理解できる思考体系で、自分の中からスルスルと何かが引き...
日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか。前半部は上野村をはじめとした自然に思いを馳せる程度だったが、中盤部以降、今まで自分が触れることのなかった思考体系をなぞり、脳が興奮した。今まで触れることはなかったけれど、でも感覚的に理解できる思考体系で、自分の中からスルスルと何かが引き出された、そんな気分。 "事実(だと思っていたこと)"は、全て現在の社会が持つ尺度によって規定されているもので、その尺度からこぼれ落ちた物事は見えなくなってしまう。現在は「知性」という存在が大きな力を持っていて、だから「知性」では説明できない「何か」を、私は見ていない。時間と共に「知性」は発展していくというのが基本的な考え方であるから、社会は、個人は、時間と共に発展していくという考え方が当たり前に受け入れられている。しかしながら、本当にそうなのか?内山節さんは「発展」ではなく「循環」だと言っている。 私は最近、人生が底見えしてきたという感覚に襲われた。その理由は以下のようなものである。 中学生くらいから生きづらさを感じていたが、新たな経験を重ねることで一歩一歩生きづらさを解消し、完璧、もしくは納得に近づいていく感覚があった。人生は毎年、着実に良くなっていくものだと思っていたのだ。しかしながら20歳を超えたあたりから自分の現状に納得できるようになってきて、もう上限まで来てしまった感覚を得た。それが、人生が底見えしてきたという感覚の正体。 本書を読んだ今考えると、以上の考えは、「知性」や「発展」という尺度で測られたものであることがわかる。自分が今まで抱いてきた悩みというものは、目的意識ありきの、人生を直線、すなわち「発展」で捉えた際に生じるものだったのだ!!しかしながら、人生とは本来円形なのではないだろうか?いや、むしろ円ですらない点であり、その形が決まるのはその時代の尺度なのだ! 何かの出来事に対して成功だの失敗だの引き分けだのが存在してくるわけだが、それはどの視点から見た成功でどの視点から見た失敗なのか?人間は画一的な物差しでしか物を図ることができない。今は資本主義の物差し。発展の物差し。
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内山節氏の文章は身近な問題を哲学的に説明してくれてわかりやすい。 この本を読んだきっかけは「おこんじょうるり」を読んだからだ。イタコのばば様とキツネのおこんの心の交流のおかしくも悲しい物語だ。 我々日本人は昔話を読んで育ってくる中で、人と動物が心を通じ合わせたり喧嘩したりという、...
内山節氏の文章は身近な問題を哲学的に説明してくれてわかりやすい。 この本を読んだきっかけは「おこんじょうるり」を読んだからだ。イタコのばば様とキツネのおこんの心の交流のおかしくも悲しい物語だ。 我々日本人は昔話を読んで育ってくる中で、人と動物が心を通じ合わせたり喧嘩したりという、日常生活を共にするのが自然に感じてきた。これらの動物は人間の言葉を話しお隣さん的に助け合ったりしてきた。そのことに全く違和感を感じなかった。それくらい身近にいて共生していたのだ。それだけ人が自然の中で生きていたのだ。しかし、科学の進歩や経済の発展によって人間は変わり、自然との距離を隔ててしまっただけでなく、自然の領域まで侵略している。自然との共生が叫ばれるが、現実はその逆に進んでいる。この先、人間はどこまで変わって行くのだろうかと不安が募った。
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